浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)40号 判決 1985年4月22日
原告
甲山A子
原告法定代理人親権者
甲山太郎
同
甲山花子
原告訴訟代理人
南元昭雄
被告
浦和市
右代表者市長
中川健吉
右訴訟代理人
熊本典道
被告
乙田成
被告
乙田計子
被告
乙川一男
被告
乙川八百子
右四名訴訟代理人
山田泰
主文
被告浦和市、同乙田成、同乙田計子は、原告に対し各自金二七三万一五〇〇円及び内金二三三万一五〇〇円に対する昭和五四年一一月二日から、内金四〇万円に対する昭和六〇年四月二三日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告の右被告らに対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告に生じた分の二分の一及び被告乙川一男、同乙川八百子に生じた分を原告の、その余を被告浦和市、同乙田成、同乙田計子の負担とする。
この判決の主文第一項は、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
「1 被告らは、原告に対し、各自金六四四万三八九三円及び内金五四〇万三八九三円に対する昭和五四年一一月二日から、内金一〇四万円に対する第一審判決言渡の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。」
仮執行宣言
二 被告浦和市
「1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。」
三 被告成、同計子、同一男、同八百子
「1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。」
仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一原告・請求原因
1 当事者等
(一) 原告(昭和四五年三月六日生)は、父甲山太郎、母甲山花子(以下、それぞれ太郎、花子という。)の長女で、後記本件事件のあつた昭和五四年一一月一日当時、浦和市立三室小学校(以下、三室小という。)四年六組に在学する児童であつた。
(二) 被告浦和市は、三室小を設置するものである。
(三) 乙田B男(昭和四四年六月二八日生、以下、B男という。)及び乙川C男(昭和四五年三月二日生、以下、C男という。)の両名は、昭和五四年一一月一日当時原告と同じ組の児童であつた者で、被告成はB男の父、被告計子はその母で、いずれもその共同親権者であり、被告一男はC男の父、被告八百子はその母で、いずれもその共同親権者である。
2 本件事故
原告は、昭和五四年一一月一日午後三時過ぎころ、三室小四年六組の教室で、同組担任の教諭三浦八重子(以下、教諭三浦あるいは三浦という。)、級友(女児童)のD及びEと、翌日に予定されていた写生大会の打合せを終えた後、右D、Eらと連れ立つて帰宅すべく右教室から廊下に出て階段に向う途中、Eが最寄の女子用便所に入つたので、右便所とこれに隣接する男子用便所の中間附近の壁際でDと立ち話をしながらEを待つていた。そこへ、C男が、前記教室前入口附近廊下の中央部から、原告の足元めがけて足から滑り込みをかけてきたため、原告は両足を引つ掛けられて転倒したが、倒れた後C男の身体の上に乗るような格好となつたので、廊下に身体を打ちつけることは免れた。次いで、原告は、C男の再度の暴行を避けるため、女子用便所入口附近に移動して佇立していたところ、C男の右滑り込みを目撃したB男が、前記教室入口附近から原告めがけて、C男が行つたと同様の滑り込みをかけ、その足を原告の足に引つ掛けるようにして衝突してきたため、原告は、廊下の中央部方向に前向きに転倒し、コンクリート床上にPタイルを貼りつけた廊下面で顔面を強打した。その結果、原告は、上左右各第一歯破折脱臼、同各第二歯脱臼、下左右第一歯ないし第三歯知覚過敏症等の傷害を負つた(以下、本件事故という。)。
3 被告らの責任原因
(以下に述べる被告らの責任原因に基く債務は、各被告ごとに選択的に主張するものであつて、全被告を通じ不真正連帯債務の関係にある。)
(一) 被告市の責任
(1) 債務不履行責任―その一
イ 原告が三室小に在学していた当時における原告又はその親権者たる太郎及び花子と被告市との間の基本的法律関係は、教育諸法上の在学契約関係である。即ち、右契約関係は、太郎及び花子が、原告の親権者として負う教育監護義務に基づき、被告市に対し原告の入学を申込み、被告市は、法令上の教育義務に基づき原告の入学を受け入れることを承諾することによつて成立したものであり、その効果として、原告及びその親権者は被告市の教育実施機関が定めた諸規律を承認し(原告は親権者を通じて承認する。)したうえで、被告市が行う諸教科の教授や生活指導を受け、学校の諸施設を利用し得る権利を取得し、被告市は、教育委員会及び現場の教職員により教育諸科学の研究の成果のうえに立つて、諸教科の教授や生活指導等をなすべき義務を負うのである。そして、子どもは、憲法上の教育を受ける権利の具体的内容の一として、教育活動中における身体の安全が保障されているからであるから、右在学契約においても、条理上当然に、原告の右権利の成立の合意が包含されている。
ロ ところで、在学契約上の原告の前記権利に対応する被告市の安全保証義務の内容は、抽象的には、原告の年齢、その成育段階等に即応した危険を予防するに必要な一切の人的・物的措置を指すが、具体的に、本件事故の如き危険を未然に防止するためには、一般に、本件事故当時の原告と同年代の子どもは、その特性として、一応の教育過程を経た一般社会人に比し、他人の人格尊重の意識が乏しく、他人に対する力の加え方の方法・程度等を配慮する能力に乏しいことは公知の事実であるから、被告市は、教育委員会及び現場の校長その他の教職員により、在学する子ども達に対し、日常の教育活動の過程において、教育学研究の成果に基づき、右の点について科学的に教導するとともに、教員に対しても、ときには右教導の方法等について指導・助言をなし、或いは充分な研修の機会を設けてこれを徹底する等の教育的施策を実施すべき義務がある。
ハ ところが、被告市は次のとおり、右主張にかかる教育的配慮を怠つた。即ち、
① 原告は、大宮市立上山小学校から三室小に三年生の三学期の一月二五日に転入してきたところ、当時の三室小では、男子児童のかなりの数の者が、女子児童、とりわけ校風になれない転入生やおとなしい子に対し、蹴る、殴る、つねる等単なる悪戯やふざけの域を越える暴行を加えるという実情にあり、被害者の中には暴行を受けた結果失明し、他校に転校する児童もいたほどであつたが、原告も転校後日ならずして、右のような暴行の対象者となつてしまつた。このため原告は、その受けた暴行被害をときどき花子に訴えていたが、花子は、当初は、小学校三年生程度の児童にはまだ幼稚さが残つているのが通常であることから、むしろ活発な子どもが多いものと考え、特に学校側に申告することもしなかつた。
ところが、小学校四年生になつてもこうした傾向は改善されず、かえつて、原告は、花子に対し、頻繁に暴行被害を哀訴することが多くなり、新学年の四月中旬ころには、暴力を振う児童達への対応ができないことから精神的苦痛が高まり、自家中毒症状を呈して登校拒否の挙に出るようになり、約一週間欠席するという事態になつた。そこで、花子は、担任教諭である三浦に対し、口頭で再三にわたり原告が受けた暴行被害を告知し、五月に行われた家庭訪問の際にも同様の事実を訴えて注意を喚起した。
また、原告自身も、三浦の発案により四年二学期から組の生徒全員が作成するようになつた「生活反省表」において、殆んど毎日或いは毎週のごとく暴行被害の事実を書き続けた。
更に、本件事故発生の約一か月前である昭和五四年九月二八日、花子は、学校と家庭との通信手段である「連絡帳」に、詳細に理を尽して、原告が頻繁に暴行を受けている事態に対する学校側の注意を喚起し、然るべき教育的措置を求めた。
② 右の経過から明らかなとおり、教諭三浦又は校長は、本件事故当時における三室小の児童の風潮、人権意識の低さを直接感得し、教育的配慮を要する状況にあることを知つたのであるから、教育専門家として有効かつ適切な措置を講ずべきであつた。然るに、特に教諭三浦は、前記のような花子の再三にわたる口頭の告知に対して、「言いつけられる方が迷惑するから言うな。」と答えて、却つて被害者側を押さえつけ、事態を放置した(この点に、学校内部の問題を外部に知られまいとする三室小の基本的姿勢が明らかである。)。のみならず、三浦は、本件事故当日の放課後は、写生大会を翌日に控えて児童が解放的な気分に浸り、なかには、ふざけ心、悪戯心を起す者があることが通常であるうえ、とりわけ、当時の四年六組には、従前から原告に暴行を働く児童がいたのであるから、本件事故の如き事態の起りうることを予見することは可能であり、三浦としては、そうした事態を未然に防止するため、問題のある児童についてはかかる児童が下校のため、校門を出るまで監視し、又は、原告の周辺に問題のある児童がいないことを確認したうえで、職員室に戻るべきであつたにもかかわらず、そうした注意を怠つた。
ニ 本件事故は、叙上の如く、被告市の履行補助者たる校長及び教諭三浦が、原告に対する安全保証のための教育的措置を怠り、C男及びB男による前記の暴行を未然に阻止しなかつたことに因り生じたものである。
(2) 債務不履行責任―その二
仮に、前記在学契約成立の主張が認められないとしても、太郎及び花子は、原告の親権者として、その自ら負う教育監護義務に基づき、被告市との間に、原告が被告市の設置する三室小において教育監護されることを委託し、被告市がこれを承諾するという教育監護委託契約を締結した。被告市は、右契約に基づき、前記(一)イと同様の安全保証義務を負つていたにも拘わらず、前記(一)ハ、ニのとおり、その義務を懈怠して、本件事故を惹起させた。
(3) 国家賠償法一条の責任
被告市の組織に属する教育委員会の委員及び、同事務局の職員、これら委員又は職員の指導助言を受けて学校教育の現場を管理する校長、更に、校長の指導助言を受けて直接児童の教導に当る担任教諭は、すべて被告市の公務員であり、右各公務員が児童に対して行う教育活動は、国賠法一条にいう「公権力の行使」に当たる。しかして、右各公務員は、そのなすべき教育的配慮を怠り、とりわけ、前記のとおり、太郎及び花子が担任教諭三浦に対し、常々原告が受けた暴行被害の事実を示して、その防止を忠告したにもかかわらず、児童らに適切な指導をしなかつた過失により、本件事故を惹起せしめた。
(二) 被告成、同計子の責任
(1) 民法七〇九条、七一九条の不法行為責任
被告成及び被告計子は、原告に対し直接被害を与えたB男の親権者であり、その保護する子どもの監護教育義務を負うところ、B男は、本件事故当時小学校四年生であつて、その行為の責任を弁識するに充分な発達段階に至つていなかつたのであるから、学校と協力のうえ、B男に対し、正当な事由もなく他人の生命・身体に向けて攻撃行為に及ぶことのないよう折々に教導すべきであつたのにこれを怠つたばかりか、B男は本件事故の直接の原因になつたのと同様の行為を従前から行つていたのであるから、親として何らかの機会にこれを充分知りえた筈であるのに、何らの措置も講ずることなく放置していた過失(共同の過失)により、B男及びC男を加害者とする本件事故を惹起せしめた。
(2) 民法七一四条一項による責任
本件事故当時のB男は、その発達段階からみて、責任無能力者というべきであるから、その親権者たる被告成及び被告計子は、民法七一四条一項に基づき本件事故により原告が被つた損害につき賠償責任を負う。
(三) 被告一男及び同八百子の責任
(1) 民法七〇九条、七一九条の不法行為責任
本件事故におけるC男の行為は、前記のとおり、原告の受傷の直接的な原因ではないが、B男は、C男が原告に滑り込みをかけ、原告が容易に倒れるのを目撃し、これを真似た行為に及んだものであつて、このように、同一目的(原告を転倒させること)に向つて同じ態様の行為が連続的に行われた場合、仮に行為者間に共謀がなくても、客観的には行為が共同しているということができる。そして、C男が前記の行為に及んだのは、同人の親権者たる被告一男及び被告八百子が、被告成及び被告計子について前に述べたと同様の、C男に対する監護教育義務の懈怠があつたことに因るものである。
(2) 民法七一四条一項の責任
本件事故当時のC男は、その発達段階からみて、責任無能力者というべきであるから、被告一男及び被告八百子は、民法七一四条一項に基づき本件事故により原告が被つた損害につき賠償責任を負う。
(3) 仮に、本件事故におけるC男の行為とB男のそれとの間に共同性が認められないとしても、C男の右行為がB男の右行為の誘因となつたのであるから、被告一男及び被告八百子は、右(1)又は(2)の責任原因に基づき、原告の本件事故により被つた後記損害のうち、慰謝料中一〇〇万円及びこれに対応する弁護士費用一四万円については賠償すべきである。
4 損害
本件事故によつて原告に生じた損害は次のとおりである。
(一) 後遺症による逸失利益 金一八七万八八九三円
原告は、本件事故により前記の後遺症が残り、これによつてその労働能力の五パーセントを喪失したところ、原告は、昭和四五年三月六日生まれの健康な女子で、本件事故に遭わなければ、通常人の就労可能年齢の間、高校卒女子一般の収入があるはずであつたから、高校卒業予定たる昭和六三年三月以降四九年間、昭和五五年度賃金センサスの一〇〇人から九九九人規模の企業の全国女子労働者全学歴平均賃金年額を基礎として、これに労働能力喪失率を乗じ、年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除し、かつ、五年単位で給料等の変化を考慮して、別表記載の如く、算定した額。
(二) 義歯補綴費用 金五二万五〇〇〇円
原告は、前記受傷部分につき、現在、仮の修補によりその外形を維持しているが、上・下顎の一応の成長をみる一五歳時を第一回目として本格的な義歯を使用する補綴治療を受けなければならない。右治療に当たつては、上左右各第一歯。第二歯は義歯とし、更にこれを固定させるために上左右各第三歯を使用して義歯を補綴する方法で行うこととなるが、右六本の歯につき現在の平均的義歯であるポーセレン使用メタルボンドブリッシ方式を使用することとして、その義歯の費用は、右義歯補綴に要する治療費を除き、現在の料金で一本七万円、合計四二万円を要する。
また、原告には、不顎部分に中側切歯知覚過敏症の症状があり、これについても一五歳の時点で完治していない場合は、その各第一歯を抜歯したうえ、これらを義歯とし、各第二歯により固定補綴する方法で治療しなければならない。これに要する費用は、現在の料金で、二八万円である。
右の一五歳時に支出すべき七〇万円の費用を中間利息を控除して現時点に引直した額は、五二万五〇〇〇円である。
(三) 慰謝料 金三〇〇万円
原告は、本件事故当時小学校四年生で、成育の途上にある子どもであつたこと、本来暴力行為があつてはならない学校という場において、前記のような暴行を受けたこと、原告の受傷部位の激痛は、口では表現し難い程であり、原告の現在の年齢からして、こうした苦痛が将来において原告の学力や運動能力の発達に相当程度影響を与えることは明らかであること、今後、相当長期に亘り、歯の治療を余儀なくされること、歯の後遺症のため生活上の不便を強いられること、本件事故後、暴力行為から逃避するため、転校(ルーテル学院へ)の止むなきに至り、友人と別れなければならなかつたことなど、原告は、精神的・肉体的に多大の苦痛を被つたが、右苦痛に対する慰謝料は金三〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 金一〇四万円
被告らは、本件裏故による賠償をしないので、原告はやむなく本訴の提起・追行を弁護士たる原告訴訟代理人に委任したが、その報酬その他の費用として要する金額は、所属の東京弁護士会報酬規定により一〇四万円となる。
よつて、原告は、被告市に対しては債務不履行責任、又は国家賠償法一条の責任に基づき、その余の被告らに対しては民法七〇九条、同法七一九条の不法行為責任、又は、同法七一四条一項の責任に基づき原告に対し各自金六四四万三八九三円の損害賠償金及び内弁護士費用を除く金五四〇万三八九三円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五四年一一月二日から、内弁護士費用金一〇四万円に対する第一審判決言渡の日の翌日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二被告市
(認否)
1 請求原因1(一)、同(二)の各事実並びに同1(三)の事実のうち、B男及びC男が昭科五四年一一月一日当時原告と同じ組の児童であつたことは認める。
2 同2の事実のうち、昭和五四年一一月一日午後三時過ぎころ、三室小四年六組の教室で、担任の教諭三浦、他の級友二人と翌日に予定されていた写生大会の打合せを終えた後、右二人の級友と連れ立つて帰宅すべく右教室から廊下に出て段階に向う途中、右級友の内一人が最寄の女子用便所に入つたので、同人を待つべく廊下に立つていたこと、その後、B男と原告が廊下で衝突し、その結果原告が転倒したことは認めるが、原告の傷害の内容及び程度は知らないし、その余の事実は否認する。
3 同3(一)(1)(2)の事実は否認し、その主張は争う。
同3(一)(3)の事実のうち、教諭三浦が本件事故当時被告市の公務員(三室小の原告の属する四年六組担任教諭)であることは認め、その余の事実は否認し、その主張は争う。
4 同4(一)の事実のうち、原告が昭和四五年三月六日生まれの女子であることは認め、その余は知らない。
同4(二)の事実は知らない。
同4(三)の事実のうち、原告が本件事故当時小学校四年生であつたこと、本件事故後転校したことは認め、その余は否認する。
同4(四)の事実は知らない。
(主張)
1 公立小学校における児童の在学関係の法的性質に関していかなる見解に立つとしても、校長や担任教諭が、児童の生命・身体・健康についての安全保証義務を負うものであることは、学校教育法その他の教育関係諸法に照らして明らかである。しかしながら、右義務は、次のような性質を有するものである。
第一に、右義務を負うべき範囲は、学校内における生徒の全生活関係にわたるものではなく、学校における教育活動およびこれと密接不離の関係にある生活関係に限られ、たとえ教育活動が教員の勤務時間外であろうと、正規のものであるかぎりそこに含まれる。
第二に、右義務の程度は、児童の生命・身体・健康について万全又は最善の注意を払うべきことを意味し、したがつて、通常の能力を有する校長及び担任教諭が可能な限りの注意を払えば、右義務を尽したことになる。
第三に、第一の要件を充たし、かつ、第二の基準に照らして注意義務違反が肯定される場合であつても、教育活動の時、場所、その他諸般の状況を考慮して、児童の生命・身体・健康に危害を及ぼす事故が、学校生活において通常生ずることが予見され、又は予見されうる場合に限り右義務を負う。したがつて、予見可能性のない事故については、校長又は担任教諭の義務違反がないことになる。
2 ところで、三室小においては、児童の安全管理・安全指導のため次のように最善の努力を払つていた。すなわち、三室小においては、在学児童に対する安全管理又は安全指導について、次のような方針のもとに臨んできたものであるが、昭和五四年度においてもその内容は同様であつた。すなわち、
第一、児童の安全のための点検については、
① 定期点検 各学期の開始時、安全点検表にしたがつて行う。
② 毎月一〇日を安全の日と定め、各係毎に安全点検を行うとともに、児童に危険についての認識をもたせる(学級担任が学級指導の時間に行う。)。
③ 臨時点検 台風や地震等災害時に行う。
④ 施設の危険個所の調査 プレハブ校舎や管理棟建設に伴う学校敷地内の危険個所の点検を行い、安全対策を講じる。
⑤ 体育各部による運動道具・施設等の安全点検は、常時クラブ活動の際行い、改修・改善指導を行う。
第二、児童の安全に関する指導は、
① 毎週第一及び第三の月曜日朝会時には、校長又は生活指導部教諭の訓話として安全な遊び方、安全な用具の使い方、交通安全等につき注意を行う。
② 毎週第一及び第三木曜日の児童集会時には、係から児童活動に関し、安全も含めて注意を喚起する。
③ 管理棟の建設のため校庭が狭くなつているため、安全部・体育部を中心に、校庭で安全に過すよう対策をたて注意を喚起する。
第三、児童の安全な遊び場の確保については、
① 児童のエネルギーを正しく発散させながら、安全で楽しい学校生活を送るよう計画する。
② 中間休み(二〇分休み)中における教員の管理指導分担は次のとおり定める。
月曜日 一組担任 火曜日 二組担任 水曜日 三組担任 木曜日 四組担任 金曜日 五組担任 土曜日 六組担任
第四、昭和五四年六月一一日付で、安全部が「学校における管理と指導」と題する文書を作成・配布し、その具体的実施に努めた。右文書中、安全指導年間計画の内容は、学校安全年間計画(昭和五四年)のとおり、各学年・各月に分けて、詳細な安全管理・安全指導条項を定め、各教師に対し、その徹底に努めた。
本件事件のあつた昭和五四年一一月一日においても、右計画に従い、各学年・各月・各週においてその具体的実施を行つてきた。
3 教諭三浦は、昭和五四年度の担任学級であつた四年六組の安全管理、安全指導に次のごとく万全を尽した。すなわち、四学年の学級指導の目標を、「好ましい人間間係を育て、児童の心身の健康、安全保持増進や健康な生活態度を育てる」ことにおき、学校給食、保健、学校図書館の利用、学校生活への適応に関する指導を主たる内容とした。具体的な指導方法は、日常的には、毎日朝(第一校時の前)一五分、帰り一五分必ず指導を行い、朝の一五分間で一日の学校生活を円滑に進めるための話し合いをし、同時に児童の健康観察を行い、帰りの一五分で帰校途中及び帰校後の注意を行うこととし、他方、年間計画である学校給食、保健、安全、学校図書館の利用、学校生活への適応に関する指導については、「四学年の指導計画」に従つて、その具体的実施にあたつてきた。これに加えて、教諭三浦は、各月、各週毎に四年六組の学級生活上の指導目標を定め、昭和五四年四月から、週初めの月曜日には当該週の指導目標について児童全員に説明し、週未にはその反省会を行つて児童の生活指導に万全を期してきた。
4 本件事故は、小学校四年生後半の児童の間において発生したものであるが、この時期に達した児童は、相当程度の判断能力を有し、危険回避能力も備えている。また、前記のとおり、本件事故当時、三室小においては、校長及び全教職員をあげて在学児童の安全管理、安全指導のための努力を続けており、四年六組には原告主張のようないじめつ子グループは固より、理由もなく他の児童にいたずらをしたり暴行を加えるような児童もいなかつたこと等に照らすと、教諭三浦において、自己が、写生大会についての打合せを終え、教室内の居残り児童が全員退出したことを確認して、職員室に戻つた後に、本件事故のような事故が発生するのを予測することは全くできなかつたし、客観的にもこのような事故の発生を予見しうる事情は存しなかつた。
三被告市を除くその余の被告ら認否
(被告成、同計子)
1 請求原因1(一)の事実並びに同1(三)の事実のうち被告一男及び被告八百子の身分関係を除くその余の事実は、いずれも認める。
2 同2の事実は否認する。
3 同3(二)の事実は否認し、その主張は争う。
4 同4(一)の事実は否認し、同4(二)ないし(四)の事実はいずれも知らない。
(被告一男、同八百子)
1 請求原因1(一)の事実並びに同1(三)の事実のうち被告成及び被告計子の身分関係を除くその余の事実は、いずれも認める。
2 同2の事実は否認する。
3 同3(三)の事実は否認し、その主張は争う。
4 同4(一)の事実は否認し、同4(二)ないし(四)の事実はいずれも知らない。
主張
1 本件事故の態様は、原告主張のそれとは異なり、次のとおりであつた。即ち、昭和五四年一一月一日午後三時過ぎころ、B男は、下校するためC男とともに教室を出たが、階段付近に至つたところで忘れ物に気づき、その場に鞄を置いて急ぎ右教室内の自席に戻り、忘れ物を取つた後、右鞄の位置に戻ろうとして、右教室の出口ドア角に左手をかけ、鞄を目がけて身体を斜に滑り込んだが、その際、誤つてB男の足が原告の足に当たつたため、原告が倒れて負傷したのであつて、単なる突発事故に過ぎない。なお、この間、C男が原告に対して暴行行為に及んだ事実はない。
2 教育機関にわが子を委託する(委託することを義務づけられている)親は、教育機関の指導と助言に基づいて子どもを養育していくのであるから、その指導と助言が十全でなかつたために教育機関の保護範囲内で発生した事故については、子どもの親は、実際のところ如何ともしがたいのであり、しかもそれが、本件事故の如く突発的なものである場合はなおさらである。
加えて、特に小学校における子どもの学校生活にあつては、あるとき加害者であつた者が被害者となり、逆に、あるときは被害者であつた者が加害者に転ずることは格段珍しいことではなく、本件事故の如き突発的事故の場合は一層このことが妥当する。したがつて、損害の衡平な分担を基本理念とする損害賠償制度の下では、不可避的に発生する小学生程度の子ども同志の事故による損害については、被害者も相応の危険を分担することが必要であり、加害者は、自らの危険分担の限度でのみ責任を負うというべきである。
四被告成、同計子の抗弁
B男は、本件事故当時行動、性格において、学校から高い評価を得ていた児童であつて、被告成及び同計子は、学校からB男について注意を受けたこともなく、また、他の保護者から苦情を受けたこともない。また、右両被告は、B男に対し、「常識ある子になつてほしい。弱い者いじめはしないように」と言いきかせ、指導していた。
五原告
被告成、同計子の抗弁事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 当事者の身分関係
原告(昭和四五年三月六日生)は、父太郎、母花子の長女で、昭和五四年一一月一日当時三室小四年六組に在学する児童であつたこと、B男(昭和四四年六月二八日生)及びC男(昭和四五年三月二日生)が右当時、原告と同じ組の児童であつたことは全当事者間において、被告市が三室小を設置するものであることは原告と被告市との間において、被告成がB男の父であり、被告計子がその母で、いずれもその共同親権者であることは原告と右被告両名との間において、被告一男がC男の父であり、被告八百子がその母で、いずれもその共同親権者であることは原告と右被告両名との間においてそれぞれ争いがない。
二 本件事故の発生
1<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができ<る。>
原告は、昭和五四年一一月一日三室小四年六組の「帰りの会」の終了後、教諭三浦から同組の女児童D、同Eとともに同組の教室内に在る同教諭の机のところに呼ばれ、翌日に予定されている野外での写生大会の際、写生場所付近にある右原告を含む三児童の家庭において、右写生大会に参加する児童が給水を受け、また便所を借用することができるよう、それぞれの父母に伝達、依頼して欲しい旨託された後、三人そろつて帰宅すべく右教室から廊下へ出て階段に向つた。ところがその途中、Eが廊下に面した最寄りの便所に寄つたため、原告は、Dとともに廊下の便所側の壁際に向い会つて(原告が教室側、Dが階段側にそれぞれ佇立していた。)立ち話をしながらEを待つていた。そこへ、B男と連れ立つて前記教室を出てきたC男が、原告の背後から原告の足元めがけて足から滑り込みをかけ、原告の両足の間に自己の左足をからませるようにしたため、原告は足を取られて前に転倒したが、その際滑り込んできたC男の身体に折重なるようにして倒れたため、事無きを得た。起き上つた原告は、C男からの再度の襲撃を避けるため、Dと共に、立つている位置をやや教室寄りに移動し、両手に荷物を下げた状態で再び同人と向い合つて立ち話を始めたところ、今度はB男が、原告の背後から原告をめがけて足から滑り込みをかけ、原告の両足の間に自己の片足をさし込んで、原告の片足に引掛けたため、原告はバランスを失つて前向きに転倒し、廊下の床面に激しく顔面を打ちつけた。この結果、原告は、上左右各第一歯破折脱臼、同各第二歯脱臼、下左右第一ないし第三歯知覚過敏症の傷害を受けた。
2ところで、本件事故の態様に関しては、被告市は、原告とB男が廊下で衝突したものである旨、その余の被告らは、B男は廊下に置いてあつた自分の鞄を取ろうとして、これに向つて滑り込んだものであり、その際誤つて原告と衝突したものである旨それぞれ主張し、丙第一、第二号証には、被告市を除くその余の被告らの右主張に沿う記載があり、証人B男の供述中にもこれと同旨の供述部がある。しかしながら、右各証拠は、次の説示に照らして措信し難く、本件事故は、前記認定のとおり、B男が意図的に原告に滑り込みをかけたことにより生じたものと認むべきである。即ち、
(一) B男が本件事故の直前、教室に忘れ物をしたため、鞄を廊下に置いたまま教室に戻つたことは、前記認定のとおりであるが、証人B男の供述によれば、同人は、右忘れ物を取り、教室の階段寄入口から出て、右入口ドア角に左手をかけ、鞄をめがけて滑り込んだところ、自己の左足が原告のいずれかの足に当たつた、というのである。しかし、証人B男の供述によつても、右教室の入口から鞄のある位置までの距離は優に四メートルを超えており、ほぼ右ドアの左角と鞄とを結ぶ直線上の右ドアに近いところに原告がいたというのであるから、B男が右のような長い距離を、しかも原告といういわば目前の障害物を避けて、鞄のあるところへ滑り込むというのは不自然である(B男が滑り込みに先立つて、原告に衝突の危険のあることを予告した形跡もない。)。
(二) 証人C男、同B男の各証言によれば、昭和五四年度の一学期が始まつて後、三室小の四学年の男子児童の間で「ズッコケ」と吸ばれる悪戯(廊下において、佇立している第三者の虚をついて、同人に滑り込みをかけるという悪戯)が流行し始めたこと、C男及びB男は、本件事故以前にも同じ組の女子児童に対し、この「ズッコケ」を試みたことがあることが認められる。
(三) 証人三浦八重子、同D、同Eの各証言によると、原告の母花子が、本件事故当日の夜、原告に本件事故の原因を問い質したところ、原告は、Dと立ち話をしていた際、背後からB男に滑り込まれて転倒した旨訴えたこと、教諭三浦が本件事故発生の日の翌日、朝のホームルームにおいて、原告及びDに本件事故の原因を問い質したところ、原告は、B男に足をかけられて転倒した旨、Dは、B男が原告に滑り込んで原告を転倒させた旨それぞれ説明したことが認められる。
右(一)ないし(三)に説示したところによれば、前記被告市を除くその余の被告らの主張に符合する証拠は措信し難く、本件事故におけるB男の行為は、原告に悪戯をしようとの意図の下になされた違法なものと認むべきである。
3一方、原告は、B男の右滑り込みは、C男の原告に対する滑り込みに誘発されたものであり、本件事故のように同一目的(原告を転倒させること)に向つて同じ態様の行為が連続的に行われた場合は、両名の行為は、客観的には行為が共同しているとみることができる旨主張するのでこの点について検討するに、なるほど、C男がB男に先行して、原告に対し滑り込みをかけたことは前記二1のとおりであるけれども、前記認定にかかるB男の滑り込みが、C男の右行為に誘発されたものであることその他右二つの行為が相関連するものであることを認めるに足る証拠はなく、結局、C男の右行為と原告の前記傷害との間に因果関係の存在することを認めることはできない(同一目的に向けられた同様の行為が連続的に行なわれたという事情のみから、複数の行為間に共同性ありとする見解は採用できない。)。
したがつて、原告の被告一男及び被告八百子に対する請求は、すでにこの点において理由がない。
三被告市の責任
1小学校の校長ないし教諭が、学校教育の場において児童の生命、身体等の安全について万全を期すべき条理上の義務を負うことは、学校教育法その他の教育法令に照らして明らかである。そして、右義務の具体的内容のうちには、集団生活を営んでいくうえに必要な人格教育や予想される児童間の事故を防止するために必要な事項についての教育を施すべき義務をも包含するものであり、この点において、とくに児童と日常接触する学級担任教諭の右指導義務は、教諭の職責の中においても重要な地位を占めているものと考えられる。従つて、小学校の学級担任教諭としては、児童の生命、身体等の保護のために、単に一般的、抽象的な注意や指導をするだけでは足りないのであつて、学校における教育活動及びこれと密接不離な生活関係に関する限りは、児童の一人一人の性格や素行、学級における集団生活の状況を日頃から綿密に観察し、特に他の児童に対し危害を加えるおそれのある児童、他の児童から危害を加えられるおそれのある児童については、その行動にきめ細かな注意を払つて、児童間の事故によりその生命、身体等が害されるという事態の発生を未然に防止するため、万全の措置を講ずべき義務を負うものというべきである。
2原告は、本件事故は、被告市の教育委員会の委員及び事務局の職員、当時の三室小の校長及び担任教諭らが児童に対する教育的配慮を欠いたことにより生じたものである旨主張するので、この点について検討する。
<証拠>を総合すると次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 原告は、小学三年生の三学期に家族の転居に伴なつて、大宮市立上小小学校より三室小へ転校してきたところ、転校直後から、同じ組の男子児童から再三蹴る、殴る、つねる等の暴行を受け、四学年に進級すると、一層頻繁に同様の暴行被害を受けるようになつた。原告から右のような暴行被害を訴えられた花子は、昭和五四年四月になつて、担任教諭三浦に対し、原告が度々暴行を受けている事実を告知して、善処方を求め、同年五月同教諭が家庭訪問のため原告宅を訪れた際にも同様の訴えをした。
(二) 教諭三浦は、昭和五四年当時、その担任する四年六組では、男子児童が特に女子児童に対し、殴る、蹴る等の暴行を加えている実情にあることは認識していたが、小学四年生程度の男子児童は、活発ではあるものの、自己主張が不得手であるのに対し、女子児童は男子児童に比して一般に精神的発達の段階が進んでいることから、男子児童が女子児童に対し実力に訴える行動を取ることは、児童の成長過程においてある程度不可避的な現象と把えていた。
(三) 教諭三浦は、昭和五四年九月第三週目から、毎日各児童に、その日の出来事を「生活反省表」と題する書面に記載させ、週に一度はこれを各家庭に持ち帰らせて、保護者の意見又は学校に対する要望、家庭における児童の様子等を記載して貰うことにし、児童が他の児童から暴行を受けたりした場合には、右生活反省表を用いて、学校と家庭との間の連絡を取ることができるように計つた。原告は、その作成にかかる生活反省表に、ほぼ毎週のように、同組の男子児童から素手で頭部等を殴打されたり、棒やほうきをもつて殴打される等の暴行を受けたことを記載し、また、花子も、保護者の立場から、生活反省表に原告の暴行被害の事実を指摘して、教諭三浦の善処を求めた。
(四) 花子は、右のように再三、教諭三浦に対し善処を求めたにもかかわらず、四学年の二学期になつても原告の暴行被害が減少しなかつたことから、昭和五四年九月二八日学校と家庭との通信手段である「連絡帳」に、原告が特に登下校際に同組の男子児童から蹴る、叩く等の暴行を受けていることを指摘し、再度、教諭三浦に対し、善処方を強く求める旨を記載した。
(五) 教諭三浦は、原告の生活反省表を読み、また学級内において男子児童が女子児童に対し乱暴な振舞をすることが目立つてきており、特にその攻撃の対象が原告他数名の女子児童に集中していることを認識したことから、何らかの対策を講じる必要を感じ、時には暴力を振つた児童を教壇の前に呼び出して注意を与え、また、反省会を開いて、暴行被害を受けた児童にその旨を報告させ、自ら加害者を軽く戒めたり、児童らに話し合いをさせたほか、加害者の児童の父母に生活反省表等を用いて連絡したりしていたが、悪戯や暴行は一向に終熄しなかつた。
(六) なお、原告の本件傷害の原因となつた「ズッコケ」と称される悪戯(前記二2(二)参照)は、昭和五四年当時の三室小四年六組では、男子児童により頻繁に繰り返されていた。
3右の認定事実に基づいて考えるに、教諭三浦は、本件事故が発生するかなり以前から、原告が同組の男子児童から集中的、かつ、継続的に暴行を受け又は悪戯をされている事実を認識していたばかりか、本件事故の約一か月前には、それまでにも数回にわたり善処を求めたことがある花子から、警告ともいえる強い調子の訴えを受けたのであるから、遅くとも右の時点においては、男子児童による原告の「いじめ」の事態が容易ならざる深刻なものであることを認識し、かかる事態を解消するため、抽象的、一般的な注意、指導に止まらず、抜本的には、児童による集団討論、いわゆるいじめつ子及び原告との個別面接等の方法によつて、右のような「いじめ」の真因を解明し、家庭とも協力してその原因の除去に努めるべきことは固よりであるけれども、当面、組の男子児童に対し、軽度の暴行又は悪戯からも生命、身体等の損傷に連なる不測の事故が起りうることをくり返し、真剣に説いて、原告に対する暴行を止めるよう厳重に説諭すべきであつた。とくに、原告の本件傷害の原因となつた「ズッコケ」という悪戯は、前記のとおり、対象者の不意を突いて、その足元附近に勢いよく滑り込みをかけるというものであつて、たとえ本来は対象者の足を引掛けて同人を転倒させることを目的とするものではないとしても、そのような事態の発生する虞れがきわめて強いことは自ら明らかであり、かつ、そのような事態が生じた場合、その対象者が転倒に伴なつて身体を強打し、これにより傷害を受ける可能性のあることもまた明らかであることに鑑みれば、「ズッコケ」なる悪戯は、きわめて危険なものということができるのであるから、教諭三浦としては、その担任の組において頻繁に行われていた右悪戯の内包する危険性を男子児童に説明して、これを止めるよう厳重な注意をなすべきであつた(「ズッコケ」と称する悪戯が頻繁に行われていた以上、四年六組の担任教諭三浦は、このことを知つていたものと推認すべきである。)。しかるに、教諭三浦は、時折原告等の女子児童に暴行を加えた男子児童らを教壇の前に呼び出して注意を与え、また、反省会を開いて、暴行被害を受けた児童にその旨を報告させ、自ら加害者を軽く戒めたり、児童らに話し合いをさせたりするなどの措置をとつたに止まり、前示のような「いじめ」を根絶するための抜本的、かつ徹底した対策を講じなかつたのであるから、この点において教諭三浦は、前記三1に説示したような義務を懈怠した過失があるものといわざるを得ない。
そして、小学四年生程度の年齢の男子は、一般に人格の陶冶が十全でなく、他人に対する受情や思いやりの精神が未成熟で、自己統制力も身についていないから、とかく弱者、とくに女子児童に対する「いじめ」に走り易く、適切な教導を欠くと、その「いじめ」を増強させる性向があり、しかも、他と付和雷同し易いから、特定の児童に対する「いじめ」がとかく集団化することもまた見易い道理である。本件事故も、昭和五四年当時の三室小四年六組において、原告をはじめとする特定の女子数名に対する「いじめ」が、いわば恒常化している状況又は雰囲気の中で、それに感化されたB男によつて惹起されたものであり、かつ、右のような状況又は雰囲気は、教諭三浦において前示のような期待される義務を尽くしていれば、終熄し又は改善されえたであろうことは推認するに難くないから、同教諭の右義務違背と本件事故との間には相当因果関係があるものというべきである(なお、付言するに、<証拠>によれば、B男は、とくに粗暴な性格の持主ではなく、常日頃他の児童に頻繁に暴力をふるうという意味での問題児ではなかつたことが認められるけれども、前示のとおり、本件事故が、いわば小学四年生程度の年齢の子どもによつて構成される集団が生み出した事故である点に鑑みれば、右の認定事実のみをもつて、右相当因果関係についての認定を左右するに足りない。)。
4 教諭三浦が浦和市の公務員で、三室小の四年六組担任教諭であることは、被告市と原告との間において争いがなく、前記3認定のとおり、円教諭にはその職務を行うにつき過失があつたものであるから、被告市は国家賠償法一条により、原告の被つた損害を賠償する責任がある。
四被告成、同計子の責任
被告成が昭和四四年六月二八日生のB男の父であり、被告計子がその母で、いずれもその共同親権者であることは、前記のとおり原告と右被告両名との間に争いがないから、本件事故当時、右被告両名は、B男の親権者として同人を監督すべき法定の義務を負つていたことは明らかである。そして、右当時B男は、満一〇歳であつて、この程度の年齢の児童は、一般に末だ、自己の行為の意味と結果を弁識又は予見し、これに従つて自らの行為を律することができる知能を具えていないとみるべきであるから、B男は右当時責任無能力者であつたと認めて妨げない。
そうとすると、被告成及び被告計子は、B男に対する親権者としての監督義務を怠らなかつたことを主張立証しない限り、民法七一四条一項に基づき本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責を負うべきであるが、この点に関し、右被告両名は、教育機関に子を委託することを義務づけられている親は、教育機関の指導と助言に基づき子を養育していくものであることを前提として、本件事故は、その指導と助言が不充分であつたことが原因となつて、教育機関の保護範囲内で突発的に起つた事故であるから、親の責任は免除される旨主張する。
なるほど、小学校の校長や担任の教諭には、その教育活動の効果を十分に発揮する必要上、法定監督義務者の監督義務を一時的に排除して、児童を指導監督する権利義務が与えられているのであり、したがつて、学校内で起きた児童の違法行為に関しては、学校側のみが責任を負担し、親権者はその責任を負わない場合のあり得ることは、これを認めなければならない。しかしながら親権者は、その子たる児童が家庭内にいると家庭外にいるとを問わず、原則として子どもの生活関係全般にわたつてこれを保護監督すべきであり、少なくとも、社会生活を営んでいくうえでの基本的規範の一として、他人の生命、身体に対し不法な侵害を加えることのないよう、子に対し、常日頃から社会生活規範についての理解と認識を深め、これを身につけさせる教育を行つて、児童の人格の成熟を図るべき広汎かつ深遠な義務を負うといわなければならないのであつて、たとえ、子どもが学校内で起した事故であつても、それが他人の生命、及び身体に危害を加えるというような社会生活の基本規範に抵触する性質の事故である場合には、親権者が右のような内容を有する保護監督義務を怠らなかつたものと認められる場合でない限り、(学校関係者の責任の有無とは別に)右事故により生じた損害を賠償すべき責任を負担するものというべきである。しかして、被告成及び被告計子が、親権者として右のような内容の保護監督義務を果たしたかについては、被告計子本人の供述中に、同被告の家庭では、B男に対し、弱い者いじめはしないように云い聞かせていた旨の供述部分があるけれども、かかる説諭のみをもつてしては、右のような保護監督義務を尽くしたとは到底いえないし、他に被告成及び被告計子において右義務を怠らなかつたと認めうる証拠はない。
また、被告成及び被告計子は、小学生の年齢の子どもにあつては、あるときは加害者であつた者が次には被害者となり、逆にあるときは被害者であつた者が次には加害者になるというように、加害者、被害者の立場は常に転換する可能性があるから、一つの事故の被害者も相応の割合で損害を負担すべきである旨主張するけれども、右のような理論は、何人も加害者にも被害者にもなりうる可能性がある事故を想定し、その事故が発生した場合に被害者が被ることのあるべき損害は、経済的には、社会全体の負担において填補すべきであるとの理論としては格別、およそある不法行為が発生した場合、その加害者の法的責任を限縮する根拠理論として用いることは当を得ないというべきであるから、右の主張はそれ自体失当といわざるを得ない。
従つて、被告成及び被告計子は、B男の前記行為によつて原告に生じた損害の賠償責任を免れることはできないと解すべきである。
五原告の損害
1原告の後遺症
<証拠>によれば、原告は、昭和五四年一一月一日本件事故の発生後、大宮市桜木町二丁目四五四番地渋谷歯科医院に赴き、上左右各第一歯(門歯)を抜歯し、上左右各第二歯(門歯)については抜髄する応急措置を受け、その後、抜歯した上左右各第一歯の位置に臨時的な義歯を入れたこと、原告は、粘りのあるものや堅いものを前歯で噛むことができない不自由や、笑つた時、義歯がはずれる等の不便を強いられていること、顎の発育がほぼ完成する一五歳の頃に上左右各第一歯については、耐久性のある義歯を入れ、その義歯を固定させるために上左右各第二、第三歯について、義歯と同一の材質で歯冠を施す治療を行うことが必要であり、更に、右義歯は半永久的なものではなく、将来、新たな義歯と交換する必要が生じてくること、右治療を受けた後も、原告は、堅い食物を前歯で噛むことができないという不自由を甘受しなければならないことを認めることができる。
2損害
右認定事実に基き、原告の被つた損害額につき以下に検討する。
(一) 義歯補綴費用 金三三万一五〇〇円
前記認定のとおり原告は、一五歳頃に本格的な義歯を使用する補綴治療を受けなければならないところ、<証拠>によれば、右治療には、上左右各第一ないし第三歯(計六本)について現在の平均的義歯材であるポーセレンを使用したメタルボンドブリッジ方式が相当であつて、その費用としては、一歯について七万円(合計四二万円)を要することが認められ、一五歳時に当る昭和六〇年三月に支出すべき右金員から年五分の中間利息を控除して本件事故時の現価を算出すると三三万一五〇〇円となる。
さらに、原告は、下顎部分に関する補綴治療費をも請求しているが、前記認定のとおり原告が本件事故により下左右各第一ないし第三歯につき知覚過敏症を負つたことは認められるが、同部分について補綴治療を必要とすることを認めるに足る証拠はない。
(二) 後遺症に対する慰謝料 金二〇〇万円
原告は、春秋に富む年齢であるにもかかわらず、生涯にわたつて前記認定の後遺症による生活上の不便を強いられること、本件全証拠によつても本件事故発生について原告に責められるべき点はなく、本件事故が、原告を突然に襲つた不幸な事故であることに鑑みれば、右後遺症による原告の精神的苦痛は金二〇〇万円をもつて慰謝されるべきである。
(三) 後遺症による逸失利益
原告は、前記後遺症によつて、労働能力の五パーセントを喪失した旨主張するのでこの点につき検討するに、前記認定のとおり原告が後遺症により前歯で堅い食物を噛むことができないという生活上の不便を強いられることは認めることができるものの、このことから直ちに労働能力の低下を認めることはできない。
従つて、原告の逸失利益の主張は理由がない。
(四) 弁護士費用 金四〇万円
原告が弁護士たる訴訟代理人に本件訴訟の提起・追行を委任したことは記録上明らかであり、これに相当額の費用、報酬の支払をなし、あるいは、これを約したことは弁論の全趣旨により認められるところ、本件事故の性質、審理の経過、認容額に鑑みると、原告の弁護士報酬支出による損害のうち、金四〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害とするのが相当である。
六結論
以上によれば、被告市、同成、同計子は原告に対し本件事故に基く損害(前記五)を賠償すべき債務を負うところ、右被告らの右債務は不真正連帯債務の関係にあることが明らかであるから、原告の本訴請求は、被告市、同成、同計子に対し、各自金二七三万一五〇〇円及び内弁護士費用を除く金二三三万一五〇〇円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五四年一一月二日から、内弁護士費用金四〇万円に対する本判決言渡の日の翌日である昭和六〇年四月二三日から各支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、右被告らに対するその余の請求及び原告の被告一男及び同八百子に対する請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱宣言は相当でないのでこれをしないこととし、主文のとおり判決する。
(高山晨 小池信行 深見玲子)